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長野地方裁判所飯田支部 昭和30年(ワ)2号 判決

原告 秦治視 外二名

被告 秦操 外三名

主文

原告三名と被告遠山実、同村沢与三郎との間において、原告秦治視、同秦喜代輔を申立人とし、同秦古一を参加人とし、被告遠山実、同村沢与三郎を相手方とする飯田簡易裁判所昭和二十七年(ノ)第一二四号土地境界確認請求調停事件につき、昭和二十八年二月五日調停調書として作成された別紙目録第二記載の調停条項中、第一項の部分は無効であることを確認する。

原告等のその余の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用の六分の一は、被告遠山実、同村沢与三郎の連帯負担とし、その余はすべて原告等の連帯負担とする。

事実

(申立関係)

第一原告三名から被告三名に対する名誉回復及び損害賠償請求

(A)請求の趣旨

被告秦操、同遠山正芳、同村沢与三郎は、連帯して、原告三名に対し、それぞれ金十万円宛の支払をし、又、訴外信濃毎日新聞社、同南信州新聞社、同南信タイムズ社に、別紙目録第一記載の謝罪広告を右各社がそれぞれ発行している信濃毎日新聞、南信州、南信タイムズの各紙上に、いずれも引き続き三日間三号活字で掲載するように依嘱せよ。訴訟費用は被告三名の負担とする。との判決及び訴訟費用負担を除く金員支払の部分についての仮執行の宣言を求める。

(B)右に対する答弁

請求棄却。訴訟費用原告等負担の判決を求める。

第二原告三名から被告遠山実、同村沢与三郎に対する調停無効確認請求

(A)請求の趣旨

原告秦治視、同秦喜代輔を申立人とし、同秦古一を参加人とし、被告遠山実、同村沢与三郎を相手方とする飯田簡易裁判所昭和二十七年(ノ)第一二四号土地境界確認請求調停事件につき、昭和二十八年二月五日調停調書として作成された別紙目録第二記載の調停条項は、全部無効であることを確認する。訴訟費用は右被告両名の負担とする。

との判決を求める。

(B)右に対する答弁

請求棄却、訴訟費用原告等負担の判決を求める。

第三原告秦喜代輔から右被告両名に対する不当利得返還請求

(A)請求の趣旨

被告遠山実、同村沢与三郎は、原告秦喜代輔に対し、各自金十二万七千五百円並びにその内金七万七千五百円に対する昭和二十八年三月一日以降及びその残金五万円に対する同年五月一日以降それぞれ支払済までの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は右被告両名の負担とする。との判決及び訴訟費用負担を除く部分についての仮執行の宣言を求める。

(B)右に対する答弁

請求棄却、訴訟費用原告負担の判決を求める。

(事実主張関係)

○以下の記述においては当事者を原告治視、同喜代輔、同古一、被告秦、同実、同正芳、同村沢と略称する外、別紙目録第三記載のとおりの略称を用いることとする。

第四境界線に関する事実主張

(A)原告等の事実主張

(一)  甲地はもと訴外遠山方景が所有していた。昭和十六年三月三十日同人から原告喜代輔がその所有権を、他の土地と合せて、譲り受け、同年十月十六日所有権移転登記がなされ、更に昭和二十七年七月中旬頃同原告から原告治視が甲地の所有権を譲り受け、同年十月十六日所有権移転登記がなされた。

(二)  甲地は南西部において乙地に、南東部において丙地に接するが、その境界線はABC地とED地との境界線である尾根の線であり、これは公図上は附図第一のニヘ線にあたる。又甲地は北部において戊地に接するが、その境界はABC地とG地との境界線であるなめた沢の本流であり、これは公図上は、附図第一のハロ線にあたる。即ち甲地にあたるものはABC地である。

(三)  右ハロ線は、訴外宮沢兼太郎が、昭和十六年十二月十日原告喜代輔から四十七番の一を縦に即ち東西に折半して戊地の所有権を譲り受け、同月二十四日その所有権移転登記をするに際し、訴外司法書士宮沢俊秀が同原告の依頼に基いて、同月二十五日附申請書を以て、それまで四十七番の一であつた山林五町六反三畝二十七歩(現在の甲丁戊地)を同番の一山林二町二反一畝二十八歩(現在の甲丁地)と戊地とに分筆した時に記入された分筆線である。

(四)  原告治視は、昭和二十七年九月末日頃から同年十月末日頃までの間、訴外幾島浩、同三岡宗一に命じて、ABC地に生立する樹木の伐採をなさしめたが、乙地の所有者被告実、その管理人被告正芳、丙地の所有者被告村沢は、A地は乙地の一部、B地は丙地の一部であつて、同原告でなく、被告実、同村沢の各所有する土地である旨を主張して、伐採を妨害しようとしたので、同原告は訴外弁護士上松貞夫を代理人とし、右両被告を債務者として、同年十月十七日長野地方裁判所飯田支部に立木伐採搬出妨害禁止仮処分を申請し(同庁同年(ヨ)第三二号事件)、同月二十二日右申請を許容する旨の仮処分決定を得た上、右伐採を遂行した。

(B)右に対する認否及び附陳

(1)  右(一)の事実中、各移転登記のなされたことは認めるが、その他の事実は知らない。昭和二十七年九月末日頃から同二十八年二月五日頃までの間、甲地の所有者は登記簿上は原告治視と表示されていたが、実際は同原告と原告喜代輔との共有に属していたものである。

(2)  右(二)の事実は否認する。甲、乙、丙地はそれぞれ、C地、AE地、BD地にあたる。即ちなめた沢はニヘ線上にある。

(3)  右(三)の事実は認める。但し四十七番の一が縦に折半されたことは争う。

(4)  右(四)の事実は認める。

第五名誉回復及び損害賠償請求の事実主張

(A)請求の原因

(一)  被告実及び同村沢は、右伐採によりそれぞれ乙地及び丙地の所有権を侵害された旨を主張し、同月二十一日原告喜代輔、訴外幾島浩を相手方とし、原告古一、訴外遠山方景、同松田賢吉、同原千秋を参加人とし飯田簡易裁判所に民事一般調停の申立として所有権侵害に因る損害賠償請求をなし(同庁同年(ノ)第八七号事件)、而して同月二十五日原告治視も右調停手続に参加し、右調停は同庁裁判官野明助治を調停主任とし被告秦、訴外花田源吾を調停委員とする調停委員会において同年十一月七日から、同年十二月五日調停不成立による事件の終了に至るまで数回の調停期日において行われた。この調停の席には原告三名、被告村沢が各当事者として出頭し、同秦が調停委員として列席し、更に同正芳が右委員会の許可に基き同実の代理人として出席していた。

(二)  同年十一月七日、同月二十七日、同年十二月五日に開かれた右調停の席において、同秦、同正芳、同村沢は、甲地と乙丙地との境界線に関する原告側の主張従つてA地B地共甲地の一部であるとの原告側の主張を容れず、甲地と乙丙地との境界は沢の線であり、これは公図ではニヘ線にあたるとの断定の下に、右委員会の他の構成員と共に、共同して故意に原告等に対し、「ハロ線は原告等が共謀の上昭和十六年訴外司法書士宮沢俊秀をして公文書偽造をなさしめた際に公図に記入されたもので、原告等の計画的盗伐の罪状は重く、公文書偽造行使罪を免れ得ない。第四の(四)記載の伐採行為は原告等の共謀による盗伐であり、かつ乙地は保安林であるから、これは重罪であり、又仮処分の下に伐採したことは弁護士を使つて裁判所を欺罔して盗伐をなしたものであるから、原告等は強盗罪として五年以上の懲役に処せられ、弁護士は懲戒処分に付せられるてあろう。」という旨の言辞を弄して原告等の名誉を毀損した。

(三)  更に被告秦は右調停事件における調停委員として、同調停主任野明助治に依頼して、同人をしてその頃故意に長野地方裁判所飯田支部裁判官山本五郎に対し「右の仮処分申請は裁判所を欺く虚偽不法な申請であり、これは原告等の共謀によるものである。」という旨の報告をなさしめて原告等の名誉を毀損した。

(四)  又同月二十日原告治視、同喜代輔は被告実、同村沢を相手方として飯田簡易裁判所に、甲地と乙地及び丙地との境界の確認を求める為の土地境界確認請求の調停の申立をなし(同庁同年(ノ)第一二四号事件)、昭和二十八年二月五日原告古一も右調停手続に参加し、右調停は、同庁裁判官野明助治を調停主任とし被告秦、訴外中田敬助を調停委員とする調停委員会において、同年一月二十七日以降同年二月五日まで、二回の調停期日において行われた。この調停の席には原告三名(但し同古一は同年二月五日の期日においてのみ)被告村沢が当事者として出頭し、同秦が調停委員として列席し、更に同正芳が右委員会の許可に基き同実の代理人として出席していた。

(五)  同年一月二十七日、同年二月五日に開かれた右調停の席において、同秦、同正芳、同村沢は、右委員会の他の構成員と共に、共同して故意に原告等に対し(但し同古一に対しては同年二月五日の期日においてのみ)、右(二)(三)記載の言辞と同旨の言辞を弄した外「お前達の財産は精々四、五十万位のものだから訴訟をすれば訴訟費用や弁護士代だけで全財産ふつとんで了う。」「今度盗伐の告訴を警察に出したから、取調が始まればお前達親子三人直ぐぶちこまれて了う。」「この小僧。盗人猛々しいとはお前達のことだ。」「この大馬鹿野郎。生意気なことを言えば職権でぶちこんでやる。」「全財産を失つてお前達親子三人五年以上の懲役になるのがいゝか又は今の中に金と山とを返して告訴を取り下げて貰うがいゝか返答しろ。」という旨の言辞を弄して原告等の名誉を毀損した。

(六)  更に同年二月五日右調停の席において原告等が右(五)記載の強迫に因り遂に右委員会の提示した調停条項を受諾する旨の意思表示をした直後、被告秦は右委員会の他の構成員と共に故意に原告等に対し「どうだ、参つたか。この馬鹿野郎共。親子三人共謀して泥棒して誠に申訳なかつたが、今後は一切泥棒は致しませんから今後宣しくおつき合い願う、と言つて相手方両名に頭をついてあやまれ。」という旨の言辞を弄して原告等の名誉を毀損した。

(七)  原告等が右(二)(三)(五)(六)記載の名誉侵害に基き蒙つた精神的損害は各金十万円の慰藉料の受領及び別紙目録第一記載の謝罪広告が信濃毎日新聞、南信州、南信タイムズの各紙上に引き続き三日間三号活字で掲載されることによつて賠償されるべきものである。

(B)右に対する認否及び附陳

(1)  右(一)の事実は認める。

(2)  右(二)の事実中、各期日にその調停の行われたこと、境界線に関する双方の主張がそのとおりであつたことは認めるが、その他は否認する。

(3)  右(三)の事実は否認する。

(4)  右(四)の事実は認める。

(5)  右(五)の事実中、各期日にその調停の行われたことは認めるが、その他は否認する。

(6)  右(六)の事実中、原告等が別紙第二目録記載の調停条項を受諾する旨の意思表示をしたことは認めるが、その他は否認する。

(7)  被告等は右(二)(三)(五)(六)記載のような行為に出たことはなく、従つて原告等に違法に損害を加えたことはないから原告等の請求は失当である。

第六調停無効確認請求の事実主張

(A)請求の原因

(一)  前記一二四号の調停事件について昭和二十八年二月五日に開かれた調停の席には、右調停の相手方であつた被告実は出頭せず、第五の(四)記載のとおり被告実の代理人として同正芳が出席していた。その際に行われた調停手続について同日飯田簡易裁判所書記官水野謹司により調書が作成された。

(二)  右調書の記載は以下の事由により無効であるからその無効なることの確認を求める。

1 右調書には、同日右調停の相手方被告実が出頭した旨が記されてあり、同正芳が出席した旨が記されていないが、之は虚偽事実の記載である。

2 右調書には同日右調停の当事者間において別紙第二の調停条項により合意が成立した旨が記されてあるが、原告等がその際なした右条項を受諾する旨の意思表示は、被告秦、同正芳、同村沢が右調停委員会の他の構成員と共に第五の(五)記載の言辞を弄して原告等に強迫を加えたことによるものであり、原告等は被告実に対しては昭和三十年一月二十一日に、同村沢に対しては同月二十三日に、それぞれ右意思表示を取り消す旨の意思表示をなしたものである。

3 更に右調停条項による合意は以下の事由により無効である。

(i) 右合意は、甲地と乙丙地との境界線が尾根の線であり、ABC地が甲地であつて、原告治視の所有に属する旨の原告等の主張を全部斥け、右境界線は沢の線であり、A′地B地はそれぞれ乙地丙地の一部であつて、それぞれ被告実、同村沢の所有に属し、従つて原告治視の伐採行為は右両被告の各所有権を侵害したものである旨の右両被告の主張を全部認容し、それに附随して右両被告が仮差押の解除、訴訟の取下等をなす旨を約し、この調停の費用を各自自弁と定めることを内容としているに過ぎず、かゝる合意は当事者双方の互譲に基く合意即ち和解ではなく、従つて右合意の成立は民事調停手続における合意の成立には該当しない。

(ii) 右合意は右両被告が原告等を犯人として阿南地区警察署に提出した森林盗伐を理由とする告訴を取り下げることを条件として成立した合意、即ちもし原告等が右調停条項を受諾しない時には、五年以上の懲役に処せられるであろうという旨の脅迫の下に成立した合意であつて、従つてこの合意は公序良俗に反する事項を目的とするものであるから無効である。

4 次に右調書の中調停条項第一項の記載は以下の事由により無効である。

(i) 同項においては甲地が原告治視、同喜代輔両名の所有である旨が記されてあるが、第四の(一)記載のとおり当時既に甲地は同治視の所有に属し、同喜代輔は甲地について所有権を有していなかつたものである。

(ii) 同項においては「下伊那郡平岡村大字平岡字中己知四十七番の一山林と同村大字平岡字白砂三十九番山林並に同村大字平岡字うのす四十八番の一山林との境界は相手方両名主張のなめた沢の線であることを認める」旨が記されてあるが、そもそも土地の地籍の範囲、従つてその境界は、国家が地番設定ないし分筆の際に定めたものであつて、之を調停委員会ないし調停当事者が変更して確認する権利を有しない。

(iii ) 同項においては、「右の境界は相手方両名主張のなめた沢の線であることを認める」旨が記されてあるが、この相手方両名主張のなめた沢の線とは如何なる線を指称するものであるか判別し得ないから、同項は不明なことを内容とする無意味な規定である。

(iv) 甲地と乙丙地との境界線は原告等が当時主張していた如く尾根の線であり、公図上のニヘ線はこの尾根の線を示すものであることは、世界各国に通ずる土地分割の原則、即ち所有地の境界は先づ稜線ないし尾根伝の線によつて定められ、然る後に谷の線等によつて細分されるという原則に照して明白なところであり、このことは縦に折半された北半分である戊地から分筆された鉄道用地の四十七番の九、十がなめた沢の北岸に接していることから推しても、折半された南半分が沢の南岸に存在せねばならず、従つて甲地と乙丙地との境界はなめた沢ではあり得ず尾根の線にならざるを得ない、ということからも裏附けられる。かかる原則、かかる事実を無視して右境界線は尾根の線ではなく沢の線であるとし、従つて更に訴外宮沢長次所有の戊地を原告治視、同喜代輔所有の甲地である旨を確認するに至る右調停条項は、明白な事実に反して、明かな誤謬を犯したものであり、法律上当然に無効である。

(B)右に対する認否及び附陳

(1)  右(一)の事実は認める。

(2)  然し、この調書の記載は、次のとおり、無効ではないから、請求は失当である。

1 右(二)の1の事実は認める。然し調停手続において本人が出頭せず代理人が出席した場合にも調停調書に本人の出頭の旨を記載して代理人の出席の旨を記載しないことは通常行われているところであり、このことによつて調停調書の記載の効力が左右されることはあり得ない。

2 同2の事実中、右調書に同日右調停の当事者間において別紙目録第二の調停条項により合意が成立した旨が記されてあること、原告等が同日右条項を受諾する旨の意思表示をなしたこと、原告等が被告実に対しては昭和三十年一月二十一日に、同村沢に対しては同月二十三日にそれぞれ右意思表示を取り消す旨の意思表示をなしたことは認めるが、その他は否認する。

3 右調停条項による合意は無効ではない。

(i) 右合意が同3の(i)記載の如き内容のものであることは認める。但し之が右両被告の主張を全部認容し、原告等の主張を全部斥けたものであることは否認する。右合意が成立するまでには被告側においても別紙目録第二の調停条項中第二項所定の金員の額をその程度にとゞめた点及び同第三項所定の分割払を認め、原告治視、同喜代輔に期限の猶予を与えた点において譲歩がなされており、この譲歩は調停費用各自弁の点における譲歩と共に和解の成立要件たる譲歩に当るものであり、従つて右合意の成立は民事調停手続における合意の成立に該当するものである。

(ii) 同(ii)の事実は否認する。別紙第二の調停条項中第六項に記載されている告訴取下の約束は右合意が成立したことの結果として併せてなされたに止まり、合意を成立させる為の条件としてなされた約束ではない。

4 右調書の中調停条項第一項の記載は無効ではない。

(i) 同4の(i)の事実中、同項において甲地が原告治視、同喜代輔両名の所有である旨が記されてあることは認める。然し第四の(1) 記載の通り当時甲地は右両原告の共有に属していたものである。

(ii) 同(ii)の事実中、同項において原告等主張の如き記載のあることを認める。然し土地の地籍の範囲、従つて或る地番の土地と他の地番の土地との間の境界を確認することは民事調停手続において之をなしうるものである。

(iii ) 同(iii )の事実中、同項において甲地と乙丙地との境界が相手方両名主張のなめた沢の線であることを認める旨の記載のあることは認める。この相手方両名主張のなめた沢の線が如何なる線を指しているかは右調停調書自体においては不明ともいゝ得ようが、右調停事件の記録全体を参照すれば、これが本件にいわゆる沢の線を指しているものであることは明白であつて、従つて同項は不明なことを内容とするものではない。

(iv) 同(iv)の事実は否認する。原告等主張の如き世界各国を通ずる土地分割の原則なるものは存在せず、個々の土地の境界線の定め方は自然的地形ないし人為により千態万容であつて劃一的な定め方はあり得ない。又鉄道用地を根拠とする論は、縦の折半を前提してのみいえることに過ぎない。戊地が公簿上訴外宮沢長次の所有に属することは認める。右調停条項は同人所有の戊地が原告治視、同喜代輔所有の甲地である旨を確認したものではなく、その趣旨とするところはA′地B地がそれぞれ乙地丙地の一部をなすことの確認にあつたのである。

第七不当利得返還請求の事実主張

(A)請求の原因

(一)  原告喜代輔は右調書に基き被告実、同村沢に金二十五万五千円の金員を支払うべきこととなり、よつて同原告は昭和二十八年二月二十八日にその内金十五万五千円を、同年四月三十日にその残金十万円を各右両被告の代理人弁護士太田真佐夫に支払つた。

(二)  然し右調書の記載は前記第六の(二)記載の諸事由により無効であり、従つて右両被告は法律上の原因なくして右原告の財産により各金十二万七千五百円宛の利益を受けて右原告に損失を及ぼしたものであるから、右利益及びこれに対する利息は右原告に返還されるべきものである。

(B)右に対する認否及び附陳

(1)  右(一)の事実は認める。

(2)  右(二)の事実は否認する。右調書の記載は第六の(2) のとおり無効ではない。従つて右両被告は法律上の原因なくして右原告の財産により利益を受けて右原告に損失を及ぼしたことはないから、請求は失当である。

(証拠関係)

第八原告等の立証〈省略〉

第九被告等の立証〈省略〉

第十書証に関する陳述〈省略〉

理由

○以下の記述においては、書証たる文書で特にその成立について認定の根拠を示さないものは、すべて成立に争ないものである。

第一境界線について

本件原告等の諸請求の支柱をなすものは、A地B地が甲地の一部をなすとの主張にあることは明らかである。よつて先ずこの主張について検討を加える。

(一)  乙第二号証(平岡村五番図。以下公団という。これを簡略化したものに甲ないし戊地の記入をなして附図第一とする。)と検証の結果(その見取図第一を簡略化したものにAないしG地の記入をなして附図第二とする。)とを対照すると、一見して、乙、丙、丁、戊地はそれぞれE、D、F、G地に、甲地はABC地にあたるとの印象を受けることは否定できない。(そして丁、戊地がそれぞれF、G地にあたること、E、D地はそれぞれ乙、丙地の各一部を成すことについては当事者間に争がない。)即ち公図を基礎として判断すればハロ線がなめた沢本流の線に、ニヘ線が尾根の線にあたると考えざるを得ない。然しながらこの場合現地との関係で容易に解き難い問題に逢着する。即ち甲第一号証の八、九及び十並びに乙第十七号証の一、十六及び十七(以上いずれも登記簿謄本)によると、戊地から中己知四十七番の九、十が乙地からうのす四十八番の十六、十七がそれぞれ分筆され、運輸通信省に買収せられていることが認められるが、乙第十四号証の二(刑事事件検証調書)、甲第二十一号証(伊藤正信刑事証人調書)、乙第十八号証の十一(同人民事証人調書)及び検証の結果を綜合すれば、現地についてみると、右の各土地はなめた沢の最下流端(もつとも現在は暗渠工事のため水は流れていないが、以前の状況は推認しうる。)の両岸に隣接して鉄道用地をなしている(附図第二に斜線部として示す。その沢の南岸の部分につきA地はこれを含みA′地はこれを含まない。)ことが認められるにかかわらず、公図についてみると、右中己知の両地とうのすの両地との中間に甲地が存在し、双方が隣接しないことになつている(附図第一に斜線部として示す。)ことが認められる。即ち少くとも鉄道用地に関する関係では公図は現地の地番の隣接関係を正しく反映していないのであるが、どうしてこのようなことになつたのであろうか。

(二)  原告等が右の疑問に対する解答として主張するところによれば、各地番の隣接関係は公図どおりなのであつて、なめた沢南岸の鉄道用地は現実には甲地から分割せられたにかゝわらず、鉄道側はこれを乙地と誤解して乙地の所有者である被告実から買収したため、公図上かかる不自然な記入がなされるに至つたというのである。然しながら前記伊藤正信関係の各証によれば、用地を買収するに際して、鉄道側としては、公簿上の関係地所有者全部に立会の通知を出した上で、現地での真実の所有者を確定して買収の手続をしたことが認められるのであつて、かかる慎重な手続の結果、沢の両岸の両地の所有者がそれぞれ宮沢兼太郎と被告実と認められたことは、乙地と戊地とが沢をさしはさんで隣接していたことに対する強力な推定の資料とするに足る。換言すれば、現地と公図とのくいちがいの原因は、鉄道側の誤認ではなく、むしろ公図における甲地の範囲の方が誤つているのではないかとの疑をいだかしめるに充分である。

(三)  そこで分筆によつて甲ないし戊の各地番の成立する以前の状態に遡つて検討して見よう。

甲第一号証の一ないし六及び乙第十四号証の六(遠山方景検察官調書)によれば、明治三十七年遠山方景は金田寛司からこの中己知四十七番を買い受け、同四十五年移転登記をし、三信鉄道株式会社に一部分筆譲渡後、中己知四十七番の一を昭和十六年三月原告古一に売り(乙第十四号証の五のこれに反する記載は採用しない。)登記簿の上では原告喜代輔を買主として、同年十一月移転登記をしたこと(登記については争がない。)が、甲第一号証の一及び八、同第二十二号証の一、二(宮沢兼太郎刑事証人調書、同検察官調書)同第二十八号証、乙第十八号証の十(いずれも同人民事証人調書)によれば、昭和十六年十一月、四十七番の一から四十七番の八が分筆(甲丁地と戊地とに分割)せられて、原告喜代輔から訴外宮沢兼太郎への売買が登記せられたこと(登記については争がない。)及び同人から訴外宮沢長次が家督相続してその旨の移転登記をしたこと(公簿上戊地が宮沢長次の所有なることは争がない。)が、甲第一号証の十一、同第二十九号証、乙第十八号証の十五(いずれも宮沢長次証人調書)によれば、昭和二十七年十月、四十七番の一から四十七番の十二が分筆(甲地と丁地とに分割)せられ原告喜代輔から訴外宮沢長次への売買が移転登記せられたことが、それぞれ認められる。

(四)  今甲第一号各証、乙第十七号各証により四十七番、四十八番両地の各分筆の跡を遡つて、分筆の際に生じた線分を公図について抹消する手続を繰り返すと、分筆によつて地番の細分せられる以前の両地番の状態が復元せられ、それは弁論の全趣旨により被告等訴訟代理人太田弁護士の作成にかかるものと認められる乙第十六号証と同様の図面(即ち附図第一においてハニ、ハホ、ハロの三線分を除いたもの)になるであろう。甲地と乙丙地との境界問題はこの復元図における四十七番と三十九番、四十八番との境界から出発すべきものであり、換言すればAB地の帰属に関する原被告等の争は結局ニヘ線が尾根の線か沢の線かの争に帰着することとなる。

(五)  原告等はニヘ線が尾根の線であるとの主張を支えるに、所有地の境界は先ず尾根伝の線で定められるのが世界各国における共通の原則であるとの事実を以てするが、全証拠によるもかかる原則の存在を肯認すべき余地なきのみならず、かえつて、乙第十四号証の八のロ(宮沢俊秀証人調書)によれば、所有地の境界は沢や尾根に限らず、大きな石を見通す線などによることもあるというのであつて、要するに自然的境界が利用せられることが多いというに止まり、この程度の規模における私所有地の境界として、特に一定の自然的形態を-況や尾根のみを-採用する原則はないと認められる。

(六) 原告等は更になめた沢北岸の鉄道用地(四十七番の九、十)が戊地から分筆せられていることと、ホハロ線は旧四十七番の一を縦に折半したものであるとの主張を結合して、ハロ線の北側に戊地がある以上、その南側に甲地がなければならず、而してこのハロ線がなめた沢なのであるからニヘ線が尾根の線であることは当然であると論じている。然しながらホハロ線は昭和十六年の分筆に際して司法書士宮沢俊秀により記入されたものであることは当事者間に争がなく、乙第十四号証の七のロ、同号証の八のロ(いずれも同人の証人調書)によれば、右分筆に際しては同人は現地を調査せず、依頼者である被告古一が四十七番の一を半分にするというので、ほぼ半分になるように面積を測りつつ、同人の指示に基いて分筆線を記入したのであること、当時別になめた沢のことは聞いていなかつたことが認められる。従つて甲地と乙丙地との境界であるニヘ線が公図上昔から存在しているのに反し、甲地と戊地との境界であるハロ線は近時まで存在しなかつたものであり、又その成立の右のような由来に鑑みて、現地における各地番の隣接関係を推断すべき資料としては不充分なものと考えられるし、これが直ちになめた沢と一致するということもできない。けだし、四十七番の九、十がなめた沢北岸にあるからハロ線がなめた沢であるというのと全く同様に、四十八番の十六、十七がなめた沢南岸にあるからニヘ線がなめた沢であるということもできるわけであつて、現地においてはこのロ点とへ点とが合して附図第二の(1) 点にあたるのである。原告等の所論は盾の一面のみを見たものであつて、採用に値しない。

(七)  甲第十八号証(刑事鑑定書)において、鑑定人上村源二郎は、ニヘ線を尾根の線と断定しているが、その推論の根拠を検討すると、被告人(本件原告古一、同治視)及び弁護人(本件原告代理人)の現地において甲地と乙丙地との境界として指示した点を連ねたもの(即ち尾根の線)となめた沢の線とを公図について対照した結果、前記(一)の冒頭に述べたような結論に到達したものであつて、出発点において原告側主張の境界点の指示を基礎としたこと自体が、その境界が争となつている本件に対しては、説得力を缺くものといわなければならず、殊に右に見たような公図上のハロ線の成立についての検討が加えられていないのでその感が著るしい。甲第二十六号証、同第二十七号各証(森林区施業図及び森林原簿)も、その成立が昭和二十七年であることから考えて、右のような公図に対する疑問を否定し去るには充分でない。その他ニヘ線が尾根の線であると認めるに足る証拠はない。

(八) 被告村沢、同実の各供述によつてそれぞれ成立を認めうる乙第七、八号証(いずれも売買古証文)はこれを右両被告の供述と綜合すれば、それぞれ両被告の先代が現在の丙地、乙地を買い受けた時の証文であると認められるが、乙第八号証の「字ウノス並にナメタア」の文字と「北は…久保沢切境」の文字及びこの近傍に沢と名ずけるべきものが他に存在していないことから見て、本証の成立した明治四年当時には現在のなめた沢が久保沢と呼ばれていたものと反証のない限り一応推定することができ、従つてなめた沢を北境とする現在のA地をナメタアという字(あざ)で呼んでいたのであろうと推認しうるし、又乙第七号証は「北はなめたえおり候小づるね切御座候」との文言が、直接なめた沢を北境とすることとは結びつかないけれども、検証の結果によれば附図第二の(13)(14)の線は尾根ではなく、(14)(15)の線が尾根なのであるから、この文言は結局丙地が北方C地と(14)(15)の線で隣接するということを示すに止まり、(13)(14)の線で限られることまで示しているとはいえない。かえつて、本証が明和六年の成立であり、明治四年の成立にかかる乙第八号証において北側の境界に「うま殿境」の文言を含むこと、被告村沢の供述から「うま」とは同被告先代村沢うまを指すと認められること、従つて右の文言はAB両地間の境界である(3) (12)の線が乙丙両地間の境界の一部をなすことを表現するものと認められること等を考え合せると、かりに明和当時は丙地がB地を含まなかつたとしても、少くとも明和から明治に至る百年の間にBD地が丙地にあたるような事実状態が成立していたことを示すものと思われる。結局右両乙号証は乙丙両地の北境即ちニヘ線が沢の線にあたることを語るものといえる。

(九)  更に乙第十八号証の十三及び同第十四号証の十(松田賢吉の民刑事証人調書)、乙第十八号証の十二及び同第十四号証の十一(秦千松の民刑事証人調書)、乙第十八号証の十四及び同第十四号証の十二、十三、(大平清市の民刑事証人調書及び検察官調書)を綜合すると、秦千松は大正八年頃被告村沢の三十九番の山から伐木したこと、又同年から二年間位にわたつて当時遠山方景の所有であつた四十七番の山から王子製紙株式会社の代人松田賢吉の依頼によつて伐木したこと、その残木を秦千松が買い受けたこと、更にそれより数年前、大平清市が遠山加茂弥、宮沢宇作の両名と共に、右四十七番の山から雑木を伐り出したこと、当時四十七番と四十八番、三十九番との境界即ちニヘ線はなめた沢であるとして、古老相伝え、少しの疑いも抱かれていなかつたこと、以来近時に至るまで、この境界に争の生じたことはなく、なめた沢という分り易い自然物によつているため、「間違いようのない境界」であると考えられて来たこと、等が認められる。この事実は前段の結論と相表裏するものであつて、結局土地の古老の証言も古文書もニヘ線を沢の線とするに正しく一致している。即ちA′、B地はそれぞれ乙、丙地の一部なのである。

(一〇)  以上説明したとおり、ニヘ線は沢の線であり、分筆前の四十七番はなめた沢の北岸に乙丙地と沢をさしはさんで隣接していたわけである。ところで甲第二十二号証の一、二、同第二十八号証、乙第十八号証の十(いずれも前記宮沢調書)によれば、宮沢兼太郎は戊地を買うに当り、現地で指示によつてなめた沢の北側全部を買い受けたことが認められる。(縦に折半したように供述する二、三の箇所は供述の全体やその他の証拠に照して採用しない。)これによつてそれまで乙丙地と隣接していた原告喜代輔所有の土地が宮沢の所有にうつり、原告側の所有地はもはや乙地と隣接せず沢をはさんで乙地と隣接するのは戊地のみとなつた。先((一))に見たように鉄道用地のなめた沢北岸の部分が原告等からでなく宮沢から買収されているのはそのためである。

(一一)  然るに戊地の面積は、分筆前の四十七番の一(即ち甲丁戊地の合計)のほぼ半分の面積であつた(別紙目録第三参照)関係から、前記(六)のように、原告古一が宮沢俊秀に分筆を依頼するにあたり、現実に指示した区分によらず、縦に折半してホハロ線を引かしめたところに本件紛争の原因が伏在したのである。公図上は甲地が乙地と戊地との間に延びているが、これは現地の関係を正しく反映していないのである。冒頭に提起した鉄道用地に関する疑問もかようにして解決されたこととなる。

(一二)  原告側は、なめた沢北岸を宮沢に売つたにもかかわらず、公簿上は宮沢所有の戊地の南側に甲地が存在していることから、AB地を自己の所有地として、これを伐採せしめるに至つた。訴外幾島浩、同三岡宗一等による伐採の事実自体は当事者間に争がない。この伐採が本件紛争の直接の原因となつたのである。

第二原被告間の本件係争の経過について

被告側としては、AB地の伐採は所有権の侵害であるとし、これを阻止しようとしたので、原告治視は上松弁護士を代理人として被告実、同村沢を相手取つて立木伐採搬出妨害禁止仮処分を申請し、これを許容する決定を得た。これに対して右両被告は、原告喜代輔、訴外幾島浩を相手取つて所有権侵害による損害賠償請求の調停の申立をし(八七号事件)、野明裁判官を調停主任とし、被告秦、訴外花田源吾をそれぞれ調停委員とする調停委員会において数回の期日を重ねたが結局同年十二月五日調停不成立となつた。次に同月二十日原告治視、同喜代輔は被告実、同村沢を相手方として、境界確認請求の調停申立をし(一二四号事件)、先の構成中花田源吾を中田敬助にとりかえた調停委員会で二回の期日を重ね、昭和二十八年二月五日の期日において、原告古一も参加した上で、原告三名が委員会の提示した調停条項を受諾する意思表示をした結果、調停成立し、調書が作成せられた。そして右条項に基き原告喜代輔は被告実、同与三郎に対する金二十五万五千円の支払として、右両名の代理人太田弁護士に二回に分つて右金員を支払つた。以上の事実は当事者間に争がない。

第三調停の状況について

さて両度にわたる調停がどのように行われたかについては、原告側証人、本人の各供述と、被告側証人、本人の各供述とは著るしく相違している。調停主任や調停委員の言動については暫く措き、調停の内容自体についても、原告側各供述は、原告側の主張はAB地についての所有権の主張が本旨であつて、損害金の点は本筋でなかつたとし、八七事件の不調の原因も所有権の帰属について対立したためであり、調停成立の当日もなお所有権の主張をしたいと思つていたが、高圧的に封じられたとするに対して、被告側諸供述は、原告側の所有権の主張は八七事件の第一回期日において現地検証を行つた時既にその非が明らかとなつたもので、以後の全経過は(従つて八七事件の不調の原因も、調停成立当日の話合の内容もすべて)、原告側の支払うべき損害金の額をいくらにするかの問題をめぐるものであつたというのである。案ずるに被告秦の供述によつて認められる同人が原告側に立証をうながしその結果十二月五日の期日に高木道太郎の証明書が原告側から提出されたとの事実(原告治視のこれを否定する供述は採用しない。)、不調後、原告側から訴訟や調停が申し立てられている事実等に徴して調停の経過が単純に損害金についての交渉だけであつたとは認められないが、他方、本件において、原告側が公図以外には根拠ある証拠を殆んど示し得ないことから推しても、当時現地検証において(原告古一がこれに立合つたか否かはともあれ)、原告側としては有利な証拠を立てえず、松田賢吉や秦千松等の古老を動員しえた被告側に有利に状況が展開し、野明証人や被告秦の供述するように、調停委員会の心証もその方に傾いたことは見易い道理であるので、自然、以後の手続においては、これら心証が基礎となつて、損害金の点が主たる論題となつたであろうことも推測するに難くない。従つて、原告側としてはかかる成行に必ずしも納得せず、多分に憤懣を感じつつも、雰囲気に押されて敢て抗言し得なかつたので、相手方の賠償請求の線での交渉に応ぜざるを得ず、一見金額だけが争われていたかの印象を残すに至つたのであろう。これに原告側の不満が残つたことは、一二四事件の申立にあたり、原告側が司法書士を通じて、非公式に、調停主任及び調停委員の交迭を希望したことが、被告治視、同喜代輔の供述から窺われることに徴しても推測できる。然し公図による主張をくり返すのみで新しい証拠を提出しえなかつた原告側としては、かかる成行も止むを得ぬこととして受けとつていたであろうと考えられ、従つて原告等の供述中金額についての話合があつたことを殆んど全面的に否定しようとする部分は、当時被告側が損害額について細かい調査まで行つていたことが被告正芳の供述によつて認められることも考え合せて、遂に措信し難い。かかる原告側の形勢不利に拍車をかけたものが、一二四号事件以後相手方の訴訟代理人となつた太田弁護士による公図上のホハロ線は後から記入せられたもの故根拠とするに足らないという主張であつたと考えられ、このことは各供述において偽造とか誤線とかの表現を以て供述せられているところからも窺い知ることができる。野明証人、被告正芳の各供述によれば、最終段階においては、AB地の帰属如何はもはや論外とし、被告側要求の損害金については金三十数万円という主張も出たが、従来主張の実害額まで譲歩して、結局金二十五万五千円で妥結したことが認められる。これは原告等の伐採当時の気持からいえば殆んど全面的一方的譲歩にちかいものであろうが、結果としては、先に認定したA′B地の帰属関係を正しく反映したことになつた。

第四名誉回復及び損害賠償請求について

進んで原告等が右二件の調停中に被告等即ち調停の相手方及び調停委員から罵詈誹膀せられて名誉を毀損せられたとの主張について考察する。先ず調停の相手方については、花田、中田、野明各証人の供述から、現地検証の際を除いては、原則として、交互呼入の方式を取つて調停を進めたことが認められ、これをくつがえすに足る証拠はない。従つて調停外においてはともかく、調停委員会の面前で両当事者が同席し、被告正芳、同村沢が原告等を罵るという機会は殆んど存在の可能性がなかつたと考えられる。次に調停委員会構成員としては、原告等が主張し、供述するような言動をとる必然性は、何らかの予断その他の事情から原告に対して不公平な処置にでる理由又は特にその調停を成立せしめなければならぬ理由といつた特段の事情がない限り考えられないことであるが、野明裁判官にも被告秦にもいわゆる忌避の理由が存在していたと認めるべき証拠はなく(むしろ被告秦は、原告治視の一家との交際が深かつたことがその供述により認められる。)、又乙第五号証の五、六(準備手続調書)によつて認められるように、既に双方からの本訴が繋属し、その準備手続も終了していた本件調停において、委員会として特に調停の成立を希望すべき理由があつたとも考えられない。然しながら、野明証人の供述によれば、同人は現地検証においてAB地が自己に帰属することについて何等積極的な立証をもなし得ない原告側が、仮処分によつて被告側の防禦を阻止しつつ、AB地の伐採を強行しているのは甚だ乱暴なことであると感じたこと、その際事件の落着までそのまゝにしておくように希望した集積材が、それにもかかわらず処分される等の事情も加味されて、その後ますます原告側の行動をあきたりず思つたことが認められる。調停主任たる野明裁判官と調停委員たる被告秦と、要するに前後二つの委員会を事実上主導した者が、前後数回の期日の第一回の現地検証において、このような印象を持ち、前記のような心証の下に調停に関与したのであるから、本来予断と呼ぶべきではなかつたにしろ、原告側としては終始委員会が相手方の肩を持つような印象を受けたと考えられる。原告等や山本裁判官に対して原告等主張どおりのことばか、調停主任、調停委員の口から吐かれたかどうかは、野明証人、被告秦の各供述に照してむしろ消極に解せられるが、少くともある程度穏かならぬ表現によつて先のような原告等の行動が叱責せられたことは、原告等本人や秦勝証人の各供述からも観取しうるところであつて、これを否定し去ることはできない。そして終始不利な相撲を取つていた原告側としては、かかる叱責のことばも、通常の場合以上にその心を傷つけることになり、かくてその内心の憤懣は益々鬱積せられることとなつたのであろう。然しながら、これによつて果して原告等の名誉が毀損せられたというべきであろうか。調停という非公開の席で、しかも相手方の対席しないところでのことである。それに調停委員会としては、その判断に従い対立当事者の中の是と信ぜられる側の主張を支持し、他方の誤つた主張をたしなめたりすることは本来当然のことであり、公正妥当な結論に導くまでには、それがむしろ必要な場合もあるのである。これはもとより程度問題であるが本件においては先に見たように原告等に対する非難それ自体は当つていないわけではなかつたのであり、穏かでない表現が多少あつたからといつて、これを以つて原告等の名誉感情を云為することは当を失すると考えられる。結局名誉毀損に基く原告等の請求は理由がないといわなければならない。

第五調停調書無効確認請求について

一  次に本件調停調書の記載の有効無効を判断するに先立ち、かかる無効確認の訴が、訴の利益を有するか否かについて考察する。調停調書に合意が記載されたときは、裁判上の和解と同一の効力を有するのであり、後者は確定判決と同一の効力を有するのであるから、結局調停調書には確定判決と同様の既判力があるわけである。その確定の効力を破るためには必ずしも確定判決に対する再審の訴と同様の要件による訴によることを必要とするわけではなく、合意の実体法上の瑕疵を原因とする無効又は取消の主張も許されると解すべきであるが、もし調停における合意の内容となつた権利関係について直ちにこれに牴触する主張をなすことができるとすれば、本件原告等は直接甲地に関する所有権確認なり、不当利得返還なりを訴求すれば足り、その前提として、調停調書自体の効力を云為し迂路を辿る必要はないわけであるから、本件無効確認の請求は訴の利益がないこととなろう。然しながら、いやしくも既判力を認める以上は、調書自体に触れずに直接その合意の内容に牴触する主張をすることは許されず、前提として先ず調書自体の無効を宣言する判決によつてその確定の効力を破つて後に、初めて合意と異る権利内容の主張が許されるに至ると解すべきであり、この意味においては確定判決に対する再審の訴と同様の作用を営む訴を必要とするものと解せられる。本件原告の請求はあたかもこれにあたるから、この訴は許すべきである。

二  調書全体に関する問題

(一)  虚偽事実記載の主張について。調書上に、相手方として被告実が出頭したように記載されていること、然し事実は代理人たる被告正芳が出頭したのであつたことは、当事者間に争がない。これは厳密にいえば正しい記載とはいえないことは当然であるが、民事調停における調書の作成は、民事調停規則第十一条に簡略に規定せられるのみであつて、民事訴訟法第百四十三条の如き厳格な形式的有効要件たる記載事項が要求せられているわけではない。出頭した代理人に正当な代理権限があつた以上、本人出頭と記載せられたとしても、その実質的効果に相違は生じない点からいつても、この記載の不注意のみで調書自体の無効を来さないと見るのが相当である。

(二)  強迫による意思表示の取消の主張について。調停における原告側の意思表示が強迫によるものであるとして、原告側が被告側に意思表示取消の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。然しながら先(第三、第四)に確定したとおりの調停の経過と状況とから見て、強迫の名に価するような言動がなされたとは到底認められないから、原告側の受諾の意思表示に瑕疵があつたとは考えられない。

(三)  双方の互譲に基く合意即ち和解でないとの主張について。民事調停法第一条の法意に徴し、民事調停における合意が当事者の互譲によつて成立することを予想していることはこれを窺い知るに難くない。然しながら、そのことは例外的に一方当事者の譲歩によつて、他方当事者の主張が全面的に容認せられた合意の成立する場合を排斥するものと解すべきではない。けだしかかる合意の成立した場合にも、調書に記載して債務名義を作成する利益の存することは、民事訴訟法上請求認諾調書の認められていることから明らかであるが、民事調停手続上はこれにあたるものを認めないとすれば、折角当事者間に合意が成立しながら、あえて調停を不成立として、別途即決和解手続等による債務名義を求めるの迂路を経由せねばならぬこととなる。訴訟の繁を避けて手続の簡易を旨とする調停手続として、かような手間を当事者に要求しているとは考えられないから、かく解すべきではない。ことに本件においては、先に認定したように、損害金については被告側の譲歩もあつたわけであり、訴訟費用も各自負担となつたのであるから、原告側の一方的全面的譲歩といいえない面もあり、本件調停調書における合意は、この意味でも無効とはいえない。

(四)  公序良俗違反の合意との主張について。当時被告側が原告側を告訴していたことは甲第十一号証の一(告訴、告発状)によつて明らかであり、又調書上、告訴取下をうたつた条項の存在することは当事者間に争がない。然しながら右取下を調停成立の条件としたとの原告喜代輔の供述は必ずしも採用しえず、他にこれを認めるに足る証拠は何もない。原告側の諸供述からは、法律知識にうとい調停当事者の間では、告訴の取下によつて刑事の事件を終了せしめうるように錯覚していたのではないかと思われるふしもあるが、原告主張のように徴役則の処罰を以て脅迫したと認めるべき証拠はない。

以上見たとおり、調書全体の無効の主張はいずれも理由がない。

三  調停条項第一項の問題

(一)  先に見たように、本件紛争はAB地における原告側の樹木伐採に由来したのであり、従つて当事者の係争はAB地の所有権が原告側に帰属するか否かを中心としたのである。而して、調停においてはA′地B地がそれぞれ被告実、同村沢の所有と合意され、原告側の伐採による損害の賠償が論ぜられたわけである。然るに、このA′B地の帰属についての合意を条項化するに当つて、条項第一項は「甲地と乙、丙地との境界がなめた沢の線なることを認める」との趣旨の文言を採用したことは当事者間に争がない。而してこれが本件にいわゆる沢の線を指称するものと解せられることは、前記係争の経過から明らかなところである。然し、これは原告側の公図による甲地と乙、丙地との隣接関係の主張と被告側のなめた沢の南側全部が所有地との主張とを混在せしめた結果生した表現であつて、現実には甲地といいうるものはC地の外になく、乙地がA′E地、丙地がBD地にあたるのであり、なめた沢の北側には戊地即ちG地しかないのであるから、右の表現は、第一に甲地と乙地とが隣接するように読める点で、失当な表現というべく、この文言に基く権利関係には全く実効性を期待しえない。よつてこの条項に関する原告のその余の主張について判断するまでもなく、本条項は調停条項としての効力を有せず。調書の記載は少くともこの部分においては無効といわざるを得ない。

(二)  次の問題は、右の条項第一項の無効が、調停調書の他の条項の無効を来すか否かであるが、前記のように本調停においては、合意自体の内容は本来無効のものでなく、ただその表現において当を失したというに止まるから、第一項の無効がその故のみで、他の条項の無効を来すとはいえない。他の条項もそれ自体として、その効力の有無を検討すべきである。而してその第二、三項は被告への陳謝及び前記伐採の損害金支払についての取り決めであつて、第一項の表現を前提とせず、むしろ前記の実質的な所有権帰属を反映しており、その表現においても右の趣旨を明示しているから有効というべきであり、他の条項は本来権利関係の如何とは直接関係しない事項について附随的取り決めであるから、もとより無効とすべきではない。

四  故に調停調書無効確認の請求は、その条項第一項の範囲内では理由があるが、その余は理由がなく失当である。

第六不当利得返還請求について

右のように調停条項第二、三項は有効であるから、これに従つてなした原告喜代輔の支払は法律上原因あるものであり、その原因のないことを前提とする原告喜代輔の請求は失当である。

第七結論

以上を綜合し、原告三名から被告実、同村沢に対する調停調書の記載の無効確認請求の中、調停条項第一項に対する部分は正当であるからこれを認容することとし、その余の諸請求はすべて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九十二条、第九十三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本五郎 田中加藤男 倉田卓次)

(別紙)

目録

第一謝罪広告

飯田簡易裁判所昭和二十七年(ノ)第八七号、第一二四号調停事件に於て、公文書偽造罪、窃盗罪、強盗罪等の罪名のもとに貴殿等に対して罪人呼ばわりを為し貴殿等の名誉を毀損したるは誠に申訳無之、茲に謹しんで謝罪致します。

昭和 年 月 日

長野県下伊那郡南和田村一、二四五番地

秦操

長野県下伊那郡平岡村大字平岡六一〇番地

遠山正芳

長野県下伊那郡平岡村大字平岡三五六番地

村沢与三郎

長野県下伊那郡平岡村大字平岡一、三三九番地

秦治視殿

長野県下伊那郡平岡村大字平岡三二六番地

秦喜代輔殿

長野県下伊那郡平岡村大字平岡三二六番地

秦古一殿

第二調停条項

一、下伊那郡平岡村大字平岡中己知四十七番の一の申立人等所有の山林と相手方村沢与三郎所有の同村大字平岡字白砂三十九番の山林並に相手方遠山実所有の同村大字平岡字うのす四十八番ノ一山林の境界は相手方両名主張の「なめつた沢」の線なることを認める。

二、申立人秦治視、参加人秦古一は前項の相手方両名の所有なる前記山林立木を伐採した事について陳謝の意を表し、其の損害賠償として金二十五万五千円を相手方両名に賠償すること。

三、申立人秦治視並に参加人秦古一及申立人秦喜代輔は連帯して前項の金二十五万五千円を左の通り分割して支払うこと。

(イ) 昭和二十八年二月二十八日金十五万五千円也

(ロ) 同年四月三十日金十万円也

四、相手方両名は申立人両名参加人秦古一が前項の支払を了した時は長野地方裁判所飯田支部昭和二十七年(ヨ)第四十一号有体動産仮差押決定に基く仮差押の解除をなすこと。

五、当事者双方は互に

長野地方裁判所飯田支部昭和二十七年(ヨ)第三十三号事件並に前同第四十一号事件の各担保取消に同意してそれぞれ保証金の還付を受けること。

尚前同庁に係属する昭和二十七年(ワ)第七十一号並に同第七十二号事件は本日これを取下げること。

六、相手方両名は本件に関し阿南地区警察署に対してなしある申立人両名及参加人秦古一に対する森林盗伐の告訴はこれを取下げること。

七、調停費用は各自弁のこと。

第三略称

(一) 長野県下伊那郡平岡村大字平岡字中己知四十七番の一山林一町五反一畝二十八歩を甲地と

同うのす四十八番の一保安林二町二反二十五歩を乙地と

同白砂三十九番山林三町二反三畝を丙地と

同中己知四十七番の十二山林一町三反歩を丁地と

同中己知四十七番の八山林二町八反一畝二十九歩を戊地と

それぞれ略称し

(二)A 国鉄飯田線一〇七号隧道の北方にある鉄橋の上の待避所の北側の鉄柱が地面に接している地点から線路に平行して約五米北方の地点を(1) 点とし、

右地点から沢(以下この沢をなめた沢と称す。)に沿つて数十米東北に上り国鉄の施した護岸工事となめた沢と交叉せる東端の地点を(2) 点とし、

右地点から更になめた沢に沿つて数十米東方に上つた処に在る高さ約二〇米の滝を(3) 点とし、

右地点から更になめた沢に沿つて数十米東方に上つた処に在る高さ約五米の滝を(4) 点とし、

右地点から更になめた沢に沿つて数十米東方に上りなめた沢が東南方から走る堀と交叉する地点を(5) 点とし、右地点から更になめた沢に沿つて数十米東方に上り-(1) 点から約三六八、四五米の地点で-なめた沢の南岸地区においてほぼ東西に走る明瞭な尾根のある地点を(6) 点とし、

右地点から尾根がほぼ西方約九六、五〇米走つて東西に走る別の尾根と交叉する地点を(15)点とし、

右地点から尾根伝にほぼ西方約一〇〇米下つて堀と交叉する地点を(14)点とし、

右地点から更に尾根伝にほぼ南西約五〇米下つてほぼ南北に走る尾根と交叉する地点を(13)点とし、

右地点から更に尾根伝に約三六米西北方へ下つた地点を(12)点とし、

右地点から約六〇米ほぼ西方に見透し、尾根の上にある一本松の地点を(11)点とし、

右地点から尾根伝に約八〇米西方へ下つて平地へ下つた地点を(10)点とし、

(10)点から(2) 点に至る鉄道用地であることを示す杭を結ぶ線上の二点を(8) 、(7) 点とするとき、

B (1) (2) (3) (12)(11)(10)(9) (1) の各点を結ぶ地域をA地と

(2) (3) (12)(11)(10)(8) (7) (2) の各点を結ぶ地域をA′地と

(3) (4) (5) (14)(13)(12)(3) の各点を結ぶ地域をB地と

(5) (6) (15)(14)(5) の各点を結ぶ地域をC地と

C地の東に接して中己知四十七番の十二であることに争のない地域をF地と

BCF地の南に接して白砂三十九番であることに争のない地域をD地と

AB地の南、D地の西に接してうのす四十八番の一であることに争のない地域をE地と

ABCF地の北に接して中己知四十七番の八であることに争のない地域をG地と

C (15)(14)(13)(12)(11)(10)(9) の各点を連ねる線を尾根の線と

(14)(5) (4) (3) (2) (1) の各点を連ねる線を沢の線と

それぞれ略称する。

附図第一、附図第二〈省略〉

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